« 夢見た | トップページ | かるた »

2010年1月 9日 (土)

「指導者論」を読み、歌舞伎を見て考えたおホザキ

ちは
きのふ、読後感を投稿した http://blog.goo.ne.jp/liebe-kdino-schumi
田勢氏の「指導者論」を読んでゐる最中に、歌舞伎座にて赤穂浪士に関する演目を拝観しました。
吉良邸の隣に住む武士の話なのですが、家来を持つ立場の武士なのである意味「指導者」であります。
「指導者」であるから、家来の生活を考え、家来に指示をする立場である。
江戸時代は、現在では考えられないくらい身分制度が徹底してゐたと聞くが、家来も主人のために働くといふ前提がある。
江戸時代の主従関係と現在の政治家と国民の関係が比較するに相応しいとは思はないが、なんとなく感じたことがあつた。
江戸時代の現実がだうだつたのかは、タイムマシンで確認しないと「これ」とは言ひきれないが現在より人としてすべき事をなさう、といふ精神はあつたのではないかといふ印象を受けました。
田勢氏著書、「指導者論」 P92 ~ 「いま、傑出した政治家が現れない理由」の扉に引用されたキケローの言葉は全くさのとおりである。
同じくこの章のなかで引用されてゐるリンカーンの言葉(P105)もさのとおりである。
では、日本にはこの両者のやうな言葉が存在しないのであらうか?
答えは否、存在するのである。
7日、荏原神社へ参詣した際に「敬神生活の勧め」といふのを拝見した。これは、神道の基本理念といふか、行き方の基本を表したものであるがここに述べられてゐるのはキケローやリンカーンの言葉と通じるものである、とあたくしは思ふ。
文化や生活習慣が違つても人間としての基本は世界で同ぢである・・・・
それが、歌舞伎の主従関係に現れてをり「指導者論」の内容を思ひ浮かべた理由であらう。
何が言ひたいかといふと
今の政治家は、「敬神生活」を読み直し、世の中を動かす立場にゐるためには何が必要なのか知るべきである、といふことだ。

|

« 夢見た | トップページ | かるた »

だうでもいひ話」カテゴリの記事