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2010年1月28日 (木)

弁護側の主張が理解不能

公判が始まつたこの事件、正直「弁護側の主張」にうんざりした。(太字部分)
なぜ、被疑者本人が「犯人は自分」と明言し、被害者に謝罪の手紙を書いてゐるのにもかかわらづ(太字下線部分)、「心神耗弱だつた」などとして刑の軽減を求めてゐく方針なのだらうか? 
これでは被疑者が過去に出てきた「反省もせづに、責任能力を理由に犯罪逃れをしてゐた」卑怯者と一緒ではないか?
勿論、行動は論外だがその後の態度が全然違ふだらう。なぜ「反省」してゐる被疑者を「責任能力がなかつた」として刑の軽減を求めるのか? 「反省してゐる」では刑の軽減理由にならないのか?
「事件当時のことはあまり覚えてゐない」のは犯行前後の興奮状態(無我夢中状態)で覚えてゐないだけで、「責任能力」とは無関係なのではないか? 「無我夢中で覚えてゐません」をすべて「責任能力がない」とするつもりなのだらうか?
理解が出来ない。
下記の手記に見られる一文、
>私の唯一の居場所であったネット掲示板において、私が荒らし行為よってその存在を殺されてしまった時に感じたような
のところは、誰にでもあることではないかと思ふ。
この人はたまたま「ネット掲示板で荒し行為に遭った」わけであるが、他人から理不尽なことを言はれ、憤ることは誰にでもあるであらう。その時に、心を打ち明けられる友人がいてその友人が「わかるよ!間違つてないよ!」と言つてくれるときの安心感と嬉しさは非常に大事なものであるし、これがなければ孤独感に襲われることは間違ひなく思はれる。
だからと言つて、殺人を計画しトラツクを借りて計画通りに暴走・殺人行為に走ることが正当化されるとは考えない。
しかしながら、この人の「心情」といふものもなんとなく、わかるやうな気がするのである。
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東京・秋葉原の無差別殺傷事件で殺人罪などに問われた元派遣社員、加藤智大(ともひろ)被告(27)の初公判が28日午前10時、東京地裁(村山浩昭裁判長)で開かれる。公判では加藤被告の責任能力が争点となる見込み。完全責任能力があったとする捜査段階の鑑定結果について、弁護側が「心神耗弱だった」などと反論し、刑の減軽を求めていく方針。
《裁判の最大の争点は、加藤被告の責任能力の有無だ。起訴前の精神鑑定の結果から、「完全責任能力があった」とする検察側に対し、弁護側は加藤被告が「事件当時のことはあまり覚えていない」などと話していることから、鑑定結果には信用性がないとして、証拠採用に同意しなかった》

 《弁護側が遺族や被害者の供述調書など検察側の証拠の多くを不同意としたことから、公判では遺族や被害者精神鑑定医ら関係者計42人の証人尋問が予定されている。証人尋問や被告人質問を通じて、検察側、弁護側双方が法廷内で激しいやりとりを展開させることは必至だ》

 《もっとも加藤被告は事件後、死亡した7人の遺族と負傷者10人、現場で加藤被告を取り押さえた警察官1人に対し、事件を起こしたことについて謝罪の手紙を書いていた。手紙には「罪は万死に値する。当然死刑になると考えます」などと記されていたという。事件への反省を深める加藤被告は、法廷で何を語るのかについても注目が集まっている》

皆様には夢があり、人生を満喫していたところを私がすべて壊してしまい、取り返しのつかないことをしたと思っています。私にはそういったものはありませんので、それらが理不尽に奪われる苦痛を自分のこととして想像することができず歯がゆいのですが、私の唯一の居場所であったネット掲示板において、私が荒らし行為よってその存在を殺されてしまった時に感じたような、我を忘れるような怒りが、それに近いのではないかと思います。

 私の罪は万死に値するもので、当然死刑になると考えています。どうせ死刑だと開き直るのではなく、すべてを説明しようと思っています。真実を明らかにし、対策してもらうことで、似たような事件を二度と起こさせないようにすることをせめてもの償いにしたいと考えています。
 皆様から奪った命、人生、幸せの重さを感じながら刑を受けようと思っています。(原文のまま)

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