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2010年5月19日 (水)

5月花形歌舞伎 昼の部

新橋演舞場へ、5月花形歌舞伎 昼の部拝観に行つて参ゐりました。
演目:
一、 菅原伝授手習鑑  寺子屋
二、 義経千本桜 吉野山
三、 新皿屋舗月雨雫 魚屋宗五郎
四、 お祭り
心に残つたのは、演目一、寺子屋。
義太夫狂言の三大名作に数えられる「菅原伝授手習鑑」の中でも上演頻度の高い名場面、名台詞、首実検をはじめ見せ場が連続する一幕。
武部源蔵(染五郎)と妻の戸浪(七之助)は主君菅丞相の子息、菅秀才をかくまつてゐるが敵方の藤原時平(しへい)から菅秀才のクビを差し出すやうに言はれる。
首実検に松王丸(海老蔵)が現れると、苦慮する源蔵は寺入りしたばかりの小太郎の首を
差し出すが、松王丸は菅秀才の首に相違なひとして立ち去る。
そこへ、小太郎の母の千代(勘太郎)が小太郎を迎えにくる。
この後の筋書きを書くと、これから観る人が台無しになるので秘密にするが、推理のヒントは「なぜ松王丸が明らかに違ふ子供の首を菅秀才のクビと言つたのか」といふことである。
今まで歌舞伎の様々な演目を観てきたが、共通するのは「江戸時代の武家社会の精神」。
これが、現代とはまるで違ふものであり、「命に対して身分の低いものは自己主張しない」のが武家社会の常識であつたと思はれる。
なので、
一、殿のお家存続がまづ第一である
二、一のためには、自分の家はだうでも良い
三、一のためには、自分および自分の妻、子供は人身御供として差し出すのは当然のこと
四、主が三の考えであるのと同様に、妻も同様に考え自分の子供を殿の子供の身代わりにするのは当然であり、身代わりになるのならむしろめでたいこと
五、三、四に従つて、子供を失つても悲しさは押し寄せるが、殿のお家が守られたので恨みは無い、悲しいがそれを覚悟の生活をしてゐる
といふ精神に従つてゐるので、四を実行するには「秘密厳守」が大前提である。相手に「身代わり」と気付かれてしまつたら元も子もない。相手を「騙して」こそ、殿のお家が続くのである。
なので
「秘密厳守」「セキュリティ」「スパイ活動(忍者の活躍)」は現代のインテリジェンスよりも固いのではないかと思つた演目であつた。
本日は江戸時代の「インテリジェンス」について考へたが、いつもは江戸時代の「命の価値観」について考えさせられる演目が多い。江戸時代の人々は「死ぬことが怖い」といふ発想は無いやうに思はれる。
これから新渡部稲造の「武士道」要約版を読むけれど、歌舞伎の演目とだふ通じていくのか楽しみだ。
演目三 魚屋宗五郎の宗五郎(松緑)は、禁酒を破つて酒を呑んでしまふのだが、松緑丈の「酔いの芝居」の際に、肌がどんどん赤くなつて「ほんたうに酒を呑んだやうになつていく」のはだういふ仕掛けなのか感心した。
宗五郎が酔つ払つて、磯部の殿様(海老蔵)の屋敷に「殴りこみ」に行くのだが、家老(左團次)のとりなしにより手討を免れ酔いが醒めるまで庭で寝させてもらふ。
酔いから醒めて目覚めたところへ磯部の殿が現れ、宗五郎の妹に対する仕打ちを自ら詫び、悪人を自ら成敗することを誓ふ。そのときの磯部の殿の台詞は、まさに今の世の中の「政治」といふ職業の名の下に犯罪を犯してゐる「悪人」に聞かせてやりたいものであつた。
「悪人滅び、善人栄える」
この演目の作者は河竹 黙阿弥。この人は義理人情をベースとした武家社会の狂言を多くお書きになつてゐるが「人間としての筋」が通つてをり、人間といふものは昔も今も変はらないのだなあと思ふ。
河竹黙阿弥の時代は、殿自らが不義を働いたものを成敗するわけであるが現在は「殿の立場を乗つ取つた者が自ら悪人になつてゐる」と思ふ。 
ここから先は海老様大好き素敵な海老様へのおホザキ・・・・・・   Valentine I love you sign
松王丸では、「悲しみ」を表現するのに目が真つ赤になつていくのは「演技なのか、けふは何かあつたのか」考えてしまつた反面、「選ばれたお顔つてすごいわ・・・・  Raining Hearts 」とバカな事を考えて観てゐた。
演目三の磯部の殿様では、「お美しさ全開」  Heart Eyes  お姿と一緒に声もお美しい 
嗚呼 一献呑みたい 海老様と 

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