« 神様への献上酒!これはまた一味違ふ! 無上盃(むせうはい) | トップページ | 何をしてゐるのやら »

2010年5月13日 (木)

おりゐべおホザキ「海老様論」

きのふ、海老様演じる助六を拝観ゐたしまして・・・・・
改めて感ぢた、「海老様論」をホザきます。
役者には、人を惹きつける様々な要素がありますが・・・・・
海老様に限つて、あたくしの個人的視点からホザきますと・・・・
まづ、海老様の「声」でありませう。
海老様の声は大変綺麗です。
舞台で、(正確には歌舞伎座で)初めて海老様の舞台を拝観した時に最初に思つたのは
「なんと綺麗な声なのだらう」
その席は歌舞伎座の3階Aといふ、3階席の前の部分でしたがその席に海老様の声は
澄んだ水が流れるやうに響いてきました・・・・・・
・・・・・・ 声に感動し、声に魅かれたのは決して忘れないでせう
それまで、「市川海老蔵」「市川團十郎」と舞台で拝観したことはなく、テレビでちらりと観る程度
逆に言ふと、全く知識も先入観も無かつたわけです。
あたくしが海老様狂いになつたのは、ひとえに「声」なのです・・・・
え~、テレビで聞くけどさうでもないぢやないか
といふご意見が聞こへますが・・・・
テレビで聞くのと、舞台で聞く海老様の声は別物なのです・・・・
テレビの構造は存知ませんが、海老様は各CMによつても声を変へられてゐる。
それを考えると、舞台での声がテレビとは違ふのはおのずから理解できます。
なので
ここでの「海老様声美論」といふのは舞台での声に限る
きのふの、「助六」も姿形と同時に「美しい声」が一緒に押し寄せ、美しさに拍車を掛けた
美しく、清流から流れゐでる水のやうに澄み、場内に響きわたる声
これがまづ、海老様の魅力の一点でござゐます
次の魅力は
「主役を演じる」ために生まれた「運命を感ぢさせる美」でありませう。
役者は、主役だけでは劇が成り立ちませんので主役・脇役と必要になります。
しかし・・・・・・
市川宗家といふのは、生まれながらにして「主役を演じる」ことが決まつてゐる
それを背にしよつてきたやうに、舞台に立つたときの立ち姿が「サマ」になつてゐる・・・・
存在感といふ、別の言葉もありませうが・・・・
この「美」を受け継ぐ家系といふのは、きのふ拝観した「助六」が初演されたときに決まつたやうな気がゐたします。
助六が初演された江戸の時代、江戸の若者が助六の江戸紫の鉢巻を真似て町を闊歩したといふことですが、それは二代目市川團十郎の姿があまりにも美しかつたからでありませう。
「粋」
といふ言葉を姿で表したのが二代目市川團十郎の「助六」であつたと思はれます。
それを400年受け継いでゐるのが、市川宗家であり神に選ばれた容姿と言ひますか・・・・
あの隈取が「ぴつたりくるお顔」が続いてゐるのが凄い。
誰でもあの隈取が似合ふといふわけではないはづ・・・・・・
そして、助六の所作事に現れる 「江戸の気品」 「江戸の華」 
これを「美しく」表現できるのは、さう誰でも出来ることではないはづ・・・・・・
市川宗家が「主役」としての「家」といふことがうなづける演目が、「助六由縁江戸桜」であり
「助六」に風雅に命を吹き込んでしまふのが、海老様であります。
助六論のやうになつてしまつたが
海老様のよさを一番表した役が「花川戸 助六」だと思ふ・・・・ 
「そして、海老蔵」より 
この傘の中心に色合いと助六の着物、紫の鉢巻など美しい彩りに感動・・・・ 

|

« 神様への献上酒!これはまた一味違ふ! 無上盃(むせうはい) | トップページ | 何をしてゐるのやら »

文化・芸術」カテゴリの記事