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2010年8月 6日 (金)

同感

何気なく読んだコラムであるが、同感である。 
この記事にある出来事は、アメリカと言ふ国の「正義の味方」面の主張をよく表してゐる。
同様の手法で世論を煽り、戦争支持にもつて行き、己の攻撃を正当化する常套手段だな~と思つて読んでゐた。かういふ手段を「戦争ポルノ」と表現するのですね。初めて知りました。
これから「なぜ自爆攻撃なのか イスラムの新しい殉教者たち」 ファルハド・ホスロハヴァル著を読みます。
それから、ノーム・チョムスキー氏の著書も図書館で探してみやうと思ひます。
アメリカは一体何がしたいのであらう?
しみぢみ思ふ・・・・・・
アメリカが戦争や他国攻撃をしかける裏には、必づと言つて言ひほど、「大統領の支持率を上げる」狙いがあるやうに思ふ。
そして実際、攻撃をすると支持率が上がるのだから驚きだ。 
「核兵器廃絶」といふ言葉は、この国がある限り成し得ないのではないかと思はれる・・・・・・
若いアフガン女性の無惨な顔を表紙にしたタイム誌 英断か戦争ポルノか
gooニュース・ニュースな英語2010年8月5日(木)22:00
国際ニュースの話題をご紹介するこのコラム、今回は米タイム誌の表紙写真(リンク先には、とても辛い写真があります)についてです。自分を虐待する婚家から逃げだそうとしたアフガニスタンの若い女性が、美しい顔を無惨に損なわれて、じっとこちらを見つめています。その写真を雑誌表紙に使い、かつ「アメリカがアフガニスタンから撤退したら、こうなる」という主張を添えた同誌の手法について、多くの人がそれぞれの立場からいきり立っています。(gooニュース 加藤祐子)
○虐待という絶対悪
これは英断なのか。それとも「戦争ポルノ(war porn)」なのか。
親同士の取り決めで結婚させられ、婚家で奴隷のように扱われ虐待されたため逃げ出したものの、連れ戻されてしまったという18歳のアイシャ。地元のタリバン指揮官の命令で、夫に耳と鼻を切り取られたアイシャ。その彼女の写真が、7月末にタイム誌の表紙になりました。同誌はさらに彼女の顔の横に、「What Happens If We Leave Afghanistan(私たちがアフガニスタンを去れば、こうなる)」と断定する見出しをつけた。
この表紙の是非が、いまアメリカを中心に大きな論争になっています。
これはアフガニスタンの現実を知らしめるためなのか。オバマ政権のアフガン戦争政策を支持するためなのか。そのために、ひとりの若い女性の顔を世界にさらしたのか。そのために、ひとりの若い女性が受けたむごい仕打ちを、それを許容する社会を、世界にさらしたのか。あるいは、ひとりの若い女性が自分が属する社会の規範に抵触したから受けた罰を「悪」と決めつけて、そこに自分たちの道徳観を押しつける、アメリカ帝国主義的な偏見をさらけ出したのか。牛や豚や羊を食肉のために殺すのは良くて鯨やイルカはダメだというのと同じなのか。それともやはり、ひとりの若い女性がこのような目に遭わなくてはならない社会は、糾弾されるべきなのか。そのような社会を変えるため、かの国の女性たちを守るためにも、地球の反対側にあるアメリカは若者たちを兵士として派遣しなくてはならないのか。さらに言えば、そのアメリカを、同盟国・日本は支援すべきなのか(一部の論点は、私が付け足しています)。
(日本でも翻訳書「これからの『正義』の話をしよう」が話題になっているハーヴァード大学マイケル・サンデル教授の政治哲学講義「Justice(正義)」をネットで観ていると、ついついこういう思考回路になりがちです。目の前に突きつけられる現象の、正義と倫理はどこにあるのかをグルグルと考え始めてしまうのです)
グルグルはするのですが、アイシャを襲った悲劇はあまりにむごい——というその一点において、誰もが一致するはずだと思います。イスラム原理主義を規範としていない地域の現代社会では。
児童虐待や動物虐待が(そこに至るどんな要因や背景をもっともらしく並べ立てたところで)、絶対悪であると同様、女性の顔をこのように損なうことは絶対悪だという、その点は揺るぎない。そこに文化的尺度や社会規範の相対性を認めてしまうのは、文化人類学的には正しいのかもしれませんが、倫理学的には誤りだと思います。人類が21世紀から一気に19世紀以前へ後退することを容認するに等しいと思う。
けれども、そんな絶対悪に損なわれてしまった彼女の写真をタイム誌が表紙にし、そこに「私たちがアフガニスタンを去れば、こうなる」というコピーをつけたところから、「彼女の顔をこんなにした行為は絶対悪だ」という断定が揺らいでしまった。なぜなら、政治化してしまったからです。
アフガン戦争をめぐるオバマ大統領の支持率が36%と過去最低を記録(3日発表のギャラップ社調査)していて、かつ秋には中間選挙が控えているその政治状況で、こういう表紙を作れば、それが政治化してしまうのは、タイム誌ももちろん分かっていたはず。アイシャの悲劇への、人間同士としての純粋な共感やシンパシー、彼女の苦しみへの憤りなどが、ほかの政治的ノイズで混濁してしまうのは、タイム誌も分かっていたはずです。
報道の業の深さ

タイム誌のリチャード・ステンゲル編集長は、表紙にするかどうか「長いことじっくり考えた」と説明しています。自分がこれから、抑圧されたアフガン女性のシンボルになるのだと理解しているか、まずアイシャに確認したと。次いで、アイシャの身の安全を確認したと(撮影時にはアフガン国内の女性シェルターに匿われていた彼女は、8月初めに米人権団体の支援で形成手術を受けるため渡米)。

彼女の無惨な姿は正視できないと感じる読者には謝罪しつつも、編集長は「誰かが酷い目にあったら、それを正面から見据えて、なぜそうなったのか探るのが、自分たちの仕事」でもあると。彼女の写真は「起きている現実」を私たちに見せる「窓」だと。アフガニスタンの戦争は自分たち全員の問題であり、「タリバンが女性をどう扱うか、無視するよりは、読者に突きつける方がいい。アメリカと同盟国がアフガニスタンでどうするべきなのか、人々が考えを決めようとしているときに、現実を知ってもらった方がいい」と。そしてさらにアフガニスタンにおける「アメリカの軍事活動を支持するために、あるいは反対するためにこの記事を掲載するのではない。これを掲載するのは、現場で実際に何が起きているのかを浮き彫りにするためだ」とも。

なるほど、けれども——と私は思います。「アフガン派兵を支持するために掲載するのではない」と言ったところで、アイシャの写真につけたキャプションは「私たちがアフガニスタンを去れば、こうなる」。断定です。疑問符はついていません。「支持するつもりはない」と言っても、その意図は容易に推量できると私は思います。だとしたら、はっきりそう言えばいいのに。

そしてその主張のために、アイシャの損なわれた顔を表紙にもってきた。当人にも、見る側にも、そしてもちろんタリバンにも、全ての者に対して激烈に。この現実を見ろ、と突きつけた。この表紙がそのまま店頭にならび、図書館だったら書架の見え易いところに並ぶわけです。見たくなくても見えてしまうところに、否応なしに。そこに「報道」というものの業の深さを私は感じます。現実の無惨を世界に突きつけることと、無惨を「さらす」こととは紙一重だからです。

確かに、たとえばスペイン内戦の悲惨を世界に伝えたのはLIFE誌に掲載されたロバート・キャパによる写真でした(捏造疑惑があろうとも)。ベトナム戦争の悲惨さをアメリカ世論に最も強烈に訴えかけたのは、爆撃から全裸で逃げ惑う少女のAP通信写真でした。水俣病の悲惨さをアメリカ世論に伝えたのは、写真家W.ユージン・スミスLIFE誌写真でした。

けれども、そういう写真を雑誌の表紙にするかどうかには、また別の判断が働くはず。ステンゲル編集長の説明は、なぜアイシャの写真を表紙にしたかについての充分な説明にはなっていないと私は思います。

ちなみに、ステンゲル編集長の説明では、自分の写真が掲載されることで自分がアフガン女性のシンボルになるのだとアイシャは理解していたことになっていますが、ニューヨーク・タイムズ紙は「彼女の顔が、鼻のない顔の写真が表紙になったタイム誌の今週号を、来訪者に手渡されるまで、彼女はタイムという雑誌のことなど聞いたこともなかった」と書いている。では、カメラマンのジョディ・ビーバーはいったい何といってアイシャを撮影したのか? かなり重要な矛盾がニューヨーク・タイムズのこの記事に含まれていると思うのですが、その説明はまだ見当たりません(ニューヨーク・タイムズ紙によると、アイシャを匿っていたシェルターの運営者は、タイム誌だと承知して取材を許可したのだが、表紙に使うとは知らなかったと)。

そしてニューヨーク・タイムズ紙は、この表紙にどう反応するかは、アフガニスタン戦争についてどう思うかの「リトマス試験のようなもの」になっている、と。米軍のアフガン駐留を批判する人々は、この表紙は「emotional blackmail(感情に訴えかけた脅迫、つまりお涙頂戴の話にして物事を操ろうとすること)」だと。あるいは冒頭で書いたように「war porn(戦争のポルノ、つまり戦争に関するインパクトの強いものをあけすけに見せることで人々の関心をひこうとすること)」だと。対して米軍撤退の影響を懸念する人々は、「人の良心に強力に訴えかけるもの」だと。米軍が撤退すれば「まさにこの通りのことが起きる」のだと。

アフガニスタンに行ったことのない私の意見はこうです。危機のおそれには最大限に対応するのが、危機対応の原則。アメリカが撤退すればタリバンが完全復権し、以前のように芸術を破壊し、女性からあらゆる権利を剥奪するだろう危険はかなり蓋然性が高いと私も思う。その理屈のみで言えば、アメリカの駐留継続には意味がある。それを知らしめるためにも、確かにアイシャの写真には強烈な伝達力がある。ただし、表紙にするべきものだっただろうか? 表紙には彼女の雄弁なまなざしだけで充分で、彼女の損なわれた顔の全容を見せるのは、雑誌の内側で良かったのではないか。もし私が担当者だったら、そう判断しただろうな、と思いました。もちろんその分、これほどの話題にも論争にもならなかったでしょうが。そうやって話題になること、論争になることが優先されたのなら、それは一人の女性を襲った悲劇を利用しての「戦争ポルノ」と言われても仕方ないだろうなと思います。

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