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2011年4月15日 (金)

そのとおりだ、この人の著書を読んでみやう

2011.4.15 13:48

白井聡氏寄稿

 東日本大震災の地震と津波による激甚な被害は、発生から1か月が過ぎた今も、日本全体に激しい衝撃を与えつつあり、むしろ日々拡大しているように思える。

 もっとも、激甚な被害を受けた岩手や宮城、福島といった被災地の人々は、感嘆すべき団結と勇気を示しつつ困難に立ち向かっており、その姿にむしろ励まされることも少なくない。

 一方、彼らを支援するために中心的な役割を果たすべき首都圏の人々の多くは深い不安の感情にさいなまれているようにみえる。

 理由は、依然として終息の目途が立たない福島第一原発の事故にある。

 原子炉の耐震性はそれなりに考慮されていたことが証明されたが、津波に対しての警告は無視され、全く不十分な対策しか取られていなかったことが明らかになった。

 さらに、発電所が津波を被った後、ECCS(緊急炉心冷却装置)が働かないという最大級の緊急事態に陥ったにもかかわらず、東京電力の対応は後手後手に回った。

 この事故は全くの「人災」といえるだろう。関係者は「想定外」というが、「想定を超えた」のでなく、「想定しなかった」のである。

 だが、「天災か人災か」という二分法に基づいて「人災である」と結論するだけでは、あまりに抽象的だ。

いかなる意味で今回の事故が人災であるのかを見極めなければ、問題の本質に迫ることはないだろう。

                   ◇

 私は、今回の事故の本質を「官僚災」と呼びたい。

 この言葉によって、原子力利用をエネルギー政策として管理する立場にある政府の責任は相当に重い、ということのみを言いたいのではない。

 ここでいう「官僚制」とは、政府や地方自治体の役所等にのみ存在するのではなく、近代的な営利企業の組織原理でもある。言いかえれば、それは近代社会を構成してきた最も主要なシステムである。

 近代的官僚制は整然たる指揮系統(権限の明確化)、規則に基づいた合理的運営、専門性といった特徴を持つ。

 近代国家や大企業といった巨大組織の創出と運営を可能にしたこのシステムは、この非常事態において、その欠点を曝(さら)け出している。

 役人は習性として、「○○をやろう」と提案されると「できない理由」を懸命に探す、とよく言われる。

 今回もその習性は遺憾なく発揮されている。報道によれば、生コン圧送ポンプ車の使用が提案されると「危険な道路事情」が指摘され、タンカーによる汚染水の一時的回収が提案されると「法令違反」の声がでたという。

事故対応のアドバイスのため来日したロシアの専門家も、露紙『イズベスチヤ』紙のインタビューで、「ロシアなら5分で決まって実行されることが、日本では何日もかかっている」と指摘した。

 政府や東京電力の関係者にとっては、危機を打開するよりも、「できない理由」を探し出すことの方がずっと重要だったようだ。

 また、長靴が支給されていないために作業員が被曝(ひばく)するなど作業環境の劣悪さも明らかになった。さらには付近住民の避難指示の拡大を国際機関によって勧告されるという事態も生じさせている。

 「官僚=無責任」の定式は周知のものであるが、その本質とは、同僚や同胞への共感・配慮を欠いていることにほかなるまい。

                   ◇

 今回の大震災という非常事態は、世の中を一変させたかのようにも見える。

 だがそれは、被災地において見事な協働精神を結晶させているのと同時に、私たちが日常生活を営んでいた社会の本当の構造、病的な構造を露呈させてもいる。

 こうした他者への共感・配慮を欠いた政治経済の運営は震災以前からはっきりと姿を現していたものであり、この危機において凝縮された形で現れているにすぎない。

 「不安」を打開する途(みち)は、国民が矛盾に満ちた構造に対して抗議し、変革するところにこそ見いだしうるのだろうと思う。(寄稿)

                   ◇

【プロフィル】白井聡

 しらい・さとし 昭和52年、東京都生まれ。多摩美術大学・高崎経済大学等非常勤講師。政治学・政治哲学専攻。博士(社会学)。著書に、『未完のレーニン-〈力〉の思想を読む』(講談社)、『「物質」の蜂起をめざして-レーニン、〈力〉の思想』(作品社)、共著『日本人が知らないウィキリークス』(洋泉社)など。

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