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2012年5月12日 (土)

日本の邪魔をしてゐたのは「日本国憲法」

先に投稿した「今読んでゐる本 日本国憲法とは何か」の続き。

本書では米国スタツフが日本国憲法を作成するにあたり、スタツフ自身らが「憲法には素人」の人たちが集まり1週間ほとんど徹夜で草案を作成するにあたり、参考にした「スタアリン憲法(ソ連)」やマルクス主義憲法草案など「社会主義」をベイスにした参考書を元に日本国憲法が作られていき、その条文や思想の裏側にある「イギリス立憲君主制とコモンロウ (ジヨン・ロツクの「誤算」)P72-89,」 「独立宣言と合衆国憲法 - 伝統の「断絶」から「継承」へ (P90-109) 」「フランス革命と人権宣言 - ペインとルソーの「社会契約」(P110-131)」を語る。

目次だけを見ると「日本に関係ないぢやん」 と思ふこれらの欧州のものが色濃く「日本国憲法」の条文に影響してゐることを説明してゐる。それはそのはずである。

日本人が作つた憲法ではないからである。

その背景を述べたあとに 

第七章 明治憲法にみる日本の国柄
第八章 マッカーサー草案と日本国憲法
第九章 諸問題に対する考え方
第十章 改憲すべきはどこか

と続く。 特に、「明治憲法が天皇の絶対的権力を保障しその権力の下に侵略戦争を起こし植民地政策を行なつた」と主張する日教組はじめとした各憲法学者の妄想に現在騙されてゐるが

それが誤りだと丁寧に解説するのが第七章である。

よく授業で引用されるのは明治憲法第三条 「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラズ」である。ここは天皇陛下は神であり絶対に侵してはならないことを規定してゐると聞かされるのが通例であるが。

これは、明治憲法第55条とつながつてくる。 「第55条は「国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス  凡テ法律勅令其ノ他国務ニ関ル詔勅ハ国務大臣ノ副署ヲ要ス」 と規定されています。

これは天皇の大権行使は国務大臣の副署がないと無効とされるということで、天皇の恣意的、個人的意思行為が排除されるという趣旨の規定です。ここは国務大臣の輔弼責任を明らかにすることによって、天皇の不可侵性、政治的・法的無責任を確保するという狙いがあります。

このような、大臣責任制ということを前提とすると、明治憲法第三条の「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラズ」という条文の解釈も違ってきます。今日の学校教育では「これは、天皇の神格性をあらわす表現である」という記述も見受けられますが、伊藤(博文)の認識によると、これは立憲君主制の国家においてはごくありがちな規定で、立憲君主としての天皇の無答責すなわち政治的・法的無責任の条項に過ぎません」

「この点に関して、明治憲法下において通説的な見解を形成した美濃部達吉の見解を紹介しておきます。「天皇が無責任である、つまり、無答責であるということは、国務大臣がその責任者である、したがって、すべての国政について君主が自分の御随意に専行したまうことはできない『憲法講話』」と美濃部は言っています。すべての国務について、天皇は国務大臣の輔弼によらなかければ大権を行うことがない、そのために天皇は無責任である、無答責である、という点を述べており天皇の不親裁ということを指摘しているのです。」 (P139-140)

ものすごい、戦後教育の 「嘘」 が明らかですよね。

左翼日教組とその教員は皇居と靖国神社で土下座して死ぬべきですよね。

第八章 マッカーサー草案と日本国憲法、では現在の憲法が出来上がるまでの裏話等があります。アメリカが日本を骨抜きにするのに如何なる手を使つたかが書いてありますがそのやり方は1907年のハーグ陸戦法規第43条に違反、大西洋憲章第三条の趣旨に違反、ポツダム宣言第十二条、バーンズ回答にも違反するという批判です。(P180)

ここまで読んで

みなさんは、自民党が「そんな違反した条文を元に『日本国憲法改正案』を出した」のをだう思はれるでせうか?

あたくしは、今までの60年を振り返り自民党は民主以上の陰湿な売国党と思つてまゐりましたが、ここでさらにその考へを強めました。

しかも自民党の改正案は、改正といふよりさらに「社会主義的に改悪」してゐます。 本書を読むとその理由がわかります。

本書の最後の部分で八木氏は「戦う民主主義」へとしてドイツの憲法を引き合いに出し、日本国憲法の欠点を語つてゐます。

「日本国憲法はあらゆる価値に対して、寛容に門戸を開いています。先ほど触れたように公務員など公職にある者が日本国憲法下での政治体制を暴力で破壊すると主張することは許されていませんが、民間人に関してはそれも許容されています。(中略)つまり、日本国憲法下の政治体制は、自らの体制を否定する勢力をも抱えこむほど寛容で、それだけ脆弱な部分を持っているのです。

日本国憲法と相前後してつくられたドイツ連邦共和国基本法(憲法)はその第十八条で基本権の喪失を規定しています。「意見の表明の自由、とくに出版の自由、教授の自由、集会の自由、信書、郵便および電気通信の秘密、所有権、または庇護権を自由で民主的な基本秩序を攻撃するために濫用する者は、これらの基本権を喪失する」と規定しているのです。

つまり、自由で民主的な基本秩序を攻撃する者に対しては、ここに掲げた基本的人権を認めないといっているのです。具体的には「共産主義者」と「ナチズムの信奉者」には認めないということです。

このように現在の政治体制の価値観と相容れない者には基本権を認めないというのは、自らの政治体制を守るためです。民主主義を守るためには民主主義を否定し敵対する者と断固戦う、そういう「戦う民主主義」という立場なのです。

これに対し、日本国憲法の場合は全てを受け入れる民主主義です。民主主義を否定する者にも寛容です」 (P226-227)

ここで八木氏は地下鉄サリン事件を引き起こしたオウム真理教をあげる。この宗教団体を騙つたテロリスト集団に破壊活動防止法を適用するかは公安審査委員会で否決され、オウムは名前を変えて未だに存続しその危険性は消えてゐない。これは日本国憲法の「すべてを受け入れる民主主義」が影響してゐるのであらう。

さう考えると、これはとんでもない悪法であり自民党が「公共の福祉」といふ文言を削除したことなどは大変な疑問である。

ここで八木氏の記述に戻る。

「日本国憲法は内側からその体制をひっくり返そうとする存在があるなどと想定していないからです。憲法は(中略)政府、具体的に言えば日本政府のもとにある軍部こそが日本国憲法下の政治体制に反する存在であると想定しており、軍国主義さえ除去すればよいという価値観を有しています。

外国勢力に関しては「平和を愛する諸国民」という位置づけがなされており、その世界観の下では外国勢力が日本で日本国憲法下の政治体制を顚覆させるなどということは全く考慮の外です。

日本国憲法下の体制では何を価値として守るべきなのか、こういったことをはっきり認識する必要があるのです。ある価値観を守るためには、それを脅かす存在に対して、毅然として立ちはだかる姿勢も必要です。そうでなければ守れない価値もあるからです。」(P228-229)

物凄い、欠陥法の悪法ですよね。日本国憲法が、一番日本の邪魔をしてゐたのです。あたくしは、こんな法を「改正案」として使用した自民党には絶対に投票しません。 自民党は改正案を作成するにあたり、明治憲法と日本国憲法をきちんと勉強したのでせうか?

「いずれにしても、日本国憲法は敗戦後「日本だけが悪うございました」「政府と軍部が悪うございました」という前提でつくられたものです。そのため、外敵も、内なる敵などもまるで想定されていません。そうした日本国憲法の限界が今日、様々な場面で露呈されているのではないでしょうか」 (P229)

内なる敵の例は本書

第九章 諸問題に対する考え方
第十章 改憲すべきはどこか

に詳しい。呆れるこぢつけ(もちろん嘘吐き左翼による)が展開されてゐる。この本を読んだら、日教組のはびこる公立学校など、子供を行かせる場所ではない。

いずれにしろ

日本国憲法を元に改憲など言つてゐる人は、ただの「みせかけ」の人なのだとよくわかりました。

日本国憲法なる悪法を破棄し、明治憲法を復活させ明治憲法を現代に合ふやうに改正すべきだ。

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